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親譲り

20100217.jpg 「親譲り」という言葉が嫌いです。私の場合、「親譲り」という言葉が使われる時は、必ず「しょうがない」という言葉がセットでした。

O脚なのは母親ゆずりだからしょうがない。天然パーマなのは父親譲りだからしょうがない。まあ、いずれにしても、大した問題ではありません。O脚だって歩行が困難なわけではありません。父親に言わせれば、「ミスユニバースに出られない」程度のことです。天然パーマだからといって、生死にかかわりありません。

もっと言えば、耳が起きています。これは、祖父、母、私、息子と受け継がれています。風が吹いたり、自転車に乗ると、風を切る音がうるさいです。耳が起きていない人は、自転車に乗っても「ぼうぼう」と音がしないことを、最近知りました。あとは、そばかすかなあ。

これらのことに悩んでいたわけではなく、困る時もあるけれど、こんなもんだと思っていました。ですが、ある日O脚は直せるということに気がついたのです。脚の内側の筋力が外側より弱いから、脚が外向きに引っ張られてO脚になるということでした。母に似ていたのは、脚のカタチではなく、運動が好きではないという「好み」だったのです。

今は、内股もO脚もほとんど直りました。ちょっと短いスカートを着る気になるくらい。もうひとつ言えば、祖父も母も猫背ですが、私は猫背ではありません。二人が揃って猫背なのを見て、姿勢にはとても気をつけたからです。

「O脚は親譲りだからしょうがない」説は、打ち破られたのでした。

両親にとっては、子どものカラダの不具合はすべて親譲りらしく、妹の胃下垂も「私に似たからねえ」と言います。私はその都度、そんなことはないよと言っていたのですが、ある日、堪えかねた娘が「おばあちゃん、何でも自分のせいにせんでいいよ。何もかも自分が悪いって言わんといて。」と言ったのです。

全部を親譲りだからと言ってしまったら、本人がどんなに努力をしてもどうにもならないと言うのかと、息子と娘が食い下がりました。それに対して、父親、彼らにとっては祖父が、「全部親のせいにした方が、楽じゃろうが?」と言いました。これには、私も驚きました。

子どもの頃に戦争を体験した両親にとっては、自分ではどうしようもない環境だったので、親や時代のせいにしなければやってられなかったと思います。ですが、私たちはそうではありません。こんな恵まれた環境にありながら、少なくとも親のせいにしたくないし、そんなことで逃げたくはありません。何を頑張っても仕方が無いなんて、そんなことを受入れられるわけがない。私は、子どもには、親譲りだから仕方が無いなどと言うことは、言ったことはありません。

私がそう言うと、両親は黙ってしまいました。もしかしたら、傷つけてしまったかもしれませんが、私も息子も娘も、自分のことで祖父母が自身を責めたりしないで欲しいと、心底思ったのです。そして、私たちの未来を否定しないで欲しいと。

思えば、O脚を直すことができたのも、何でも「親譲り」ですませようとする両親への反発ですね。この年になって、まだ反抗期です。思い出しましたが、二十歳の頃に箸の持ち方を直したのも、「その年になったら、もう直らない」と言った父親への反発でした。今、書道を始めたいと思っているのも、私の字が汚いと言う父親に「目に物を見せてくれる」という気持ちが無いわけじゃない。

それにしても、私、親に反発をしながらじゃないと頑張れないの?って、何歳になるのよ?オトナになれないなあ。

って、こんなプライベートな話をしていいもんだろうか。。。

フツーライフ :: 10-02-17 :: すえもとふさこ

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