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噛み合ない会話::「『痴呆老人』は何を見ているか」

20091127.jpg 23年前に亡くなった祖母が痴呆だった頃、落語の熊さん八っつあんのように交代で入れ替わって話しあっていて、その相手は「まあさん」、祖母自身でした。この本のタイトルを見た時に、そのことを思い出しました。いったい祖母は何を見ていたのでしょう。

脳の機能が衰えてくると身の回りの情況に対応できなくなり、とても不安になります。その不安を解消するために、自分にとって快適な情況を作りだすそうです。その情況は、自分の過去の時代だったり、記憶の中に残っている物の組み合わせだったりするようです。だから、それを否定したらまた不安になりますから、徘徊などの痴呆症特有の行動が始まったりするそうです。

だから、話の筋なんて通ってなくても構わずに、ふんふんと聞いて話を合わせておけばいいそうですが、なかなか出来る事ではないですよね。大変です。

コミュニケーションには、情報を交換するためのものとは別に、感情を共有するためのものがあるそうです。情報コミュニケーションと情動コミュニケーションです。

痴呆の症状がある人たちが、お互いにトンチンカンな噛み合ない会話を、ニコニコしながら続けているのは、情動コミュニケーションを取っているのです。こういう時は、横から間違いを指摘したりしてはいけないそうです。

でも、これって、痴呆老人だけではないですよね。まさかトンチンカンな会話はしませんが、理屈で話をするよりも、喜びや悲しみや怒りの感情を共有することを求められている場合ってあると思います。そんな時に、論理的に話を進めていくとKYとか言われてしまうのでしょう。問題を解決しようと冷静に対処すると、感謝はされるけどなんとなく喜ばれていない感じがしたのは、情動コミュニケーションに駄目出しをされていたのですね。

困るのは、情報コミュニケーションを取るべき場所で情動コミュニケーションを要求される時があることです。要するに、テキパキすると嫌われる。人間関係って難しいね。

本のタイトルは痴呆老人とありますが、内容はコミュニケーションの方法論のほか、「私」というのは何かという哲学的なこと、欧米人との自己の捉え方の違いなどについて述べられています。内容的に難しいところや、文法的に読み難いところが少しありましたが、全体的にはわかり易く書かれていて、面白い本でした。

読んでみた本 :: 09-11-27 :: すえもとふさこ

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