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道路があれば

20090921.jpg 今日のYahoo!ニュースの見出しで宮崎駿監督が鞆の浦の埋め立てについて語った記事がでていました。

「ポニョの海辺」埋め立て計画、宮崎監督が思い語る

埋め立て・架橋事業については、自分なりの考えは持っているけれど、賛成か反対かを主張する気はない。地元の人たちが決めることだと思う。
ただ、過疎化や高齢化が進むことで感じるさみしさを、事業で埋められると考えている人がいれば、それは錯覚だと言いたい。
鞆は、僕が住んでいる埼玉県所沢市よりもお年寄りが住みやすい町だ。僕も含めて、年を取ると、友人は死んでいくし、さみしい思いをいっぱいする。そのさみしさは、橋を架けても、摩天楼を建てても変わらない。じゃあ、橋を架けなければバラ色の未来が広がるかというと、それも違う。

そこに住んでいる人の不便さというのは、実際に住んでみないとわからないものだし、たとえ住んでいたとしても、年齢が違うなどすれば、その不便さを実感できなかったりと、なかなか理解しにくいものだと思います。

ただ、以前テレビのニュースで推進派の方がお話しされていたことについては、疑問があります。それは、便利な道路ができたら、鞆から出て行った若い者が帰って来るというものです。たしかに道路ができれば便利になるのは間違いないでしょう。でも、若者が出て行った理由は、道路だけなのでしょうか。

では、道路が出来たとして、福山の職場へ鞆から通うのは便利になるでしょう。でも、鞆の若者はみんな福山にいるのでしょうか。何人かは帰ってくるかもしれません。新たに居を構える人もいるかもしれません。ですが、多分、過大な期待に終わってしまうでしょう。

「道路さえ出来れば」と言って山を切り開き、田畑を潰して道路を作った地域は日本中にあります。期待通りの結果が得られた地域はどれだけあるでしょう。便利になって、いつでも帰って来れるからと出て行った人もいると聞きます。

道路の是非については、宮崎監督が言われているように、私も主張するつもりはありません。ですが、前述した方の期待はきっと叶えられないだろうと思うのです。

写真は、鞆の浦ではありません。因島大橋です。

コムツカシイハナシ :: 09-09-21 :: すえもとふさこ

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